
コロナ禍による日本への入国規制で義母を看取ることも出来ず、一周忌にも顔を出せなかったが、漸く規制が緩和されビザ無しでの入国が認められる様になった。義父も2度脳梗塞で倒れ養老院のお世話になって居た。果たして俺の事を覚えていてくれているのかどうか怪しかったが、是非ご挨拶に伺いたいと思っていた。一方俺の両親は90歳という年齢の割には心身ともに健康で大変有難いのだが、流石にこちらにも会える時に是非会っておきたかった。思えば正月を両親と過ごすのはコロナ前にテキサスに来て貰って以来だ。あの折は息子(ケント)と彼女も合流してくれて3世代一緒に冬休みを過ごすとても良い思い出となった。
クリスマスはユタで過ごした。カリフォルニアからDさん夫妻とその息子R君が遊びに来てくれ、ウチの息子と彼女もニューヨークから遊びに来てくれた。丁度天気に恵まれ、雪の合間を縫って一緒にスキーやスノーシューイングに興じた。夜はケントの解説付きで彼が出演したクリスマス映画を鑑賞、楽しい数日を過ごした。
日本への出発はクリスマスの翌々日。連日夜はマイナス10℃を下回っていたが、モーターホームの床下にあるリチウム・イオンのバッテリーを氷点下に晒す訳にはいかない。屋根の上に積もるであろう雪も心配だった。なので暖房はつけておく必要があったが、そうなると果たして暖房に必要なディーゼルが3週間持つかどうかが問題だった。出発に先立って、近くのステーションでディーゼルを満タンにし、更にディーゼルの消費を抑えるべく室内の温度を低く再設定した。スライド・アウト部分の屋根は弱いので、4つあるスライドアウトのうち格納すると室内への暖気の出口を塞いでしまう1つを除く残りの3つは格納した。当日の朝、その日カリフォルニアに戻るDさん一家のトラックでソルトレイクの空港まで送って頂きそこでDさん一家とサヨナラした。
ロサンゼルス経由で羽田に到着したのは29日の早朝。スーツケースは空港で宅配便に預け、お昼前には千葉の実家に到着した。土産に旧年中に撮影した写真で作ったカレンダーを持って行ったが、これは大層喜んで貰えた。以前、母は、年の暮れともなると正月の西銘料理に躍起となり周囲が気を遣ったものだったが、流石に歳で殆どのものは作ったものを業者から取り寄せていた。母には申し訳ないが、俺は寧ろこの方が変な気を使わずに済んだ。昨今、日本では普段から冷凍食品を取り寄せる家庭が多いらしい。材料を買って手間暇をかけるより、より安く手間もかからず味も悪くない。事実、十分に堪能した。特に何をする訳でもないが、コタツに入り、テレビを見たり、おしゃべりをした。少しカラオケもやった。これはこれで良い正月だった。

3日には押上のAir B&Bに移動した。正月明けると沖縄の義母のお墓に参ったり、お義父さん、親戚の方々への挨拶、友人と会ったり、色々と済ましておきたい用事も有ったから、出先でコロナに感染し両親に遷す事の無い様配慮したのだった。
日本でいつも懇意にしてくれ何度もアメリカにも遊びに来てくれているSちゃんと成田山へ初詣に行った。参拝道沿いのお目当ての鰻屋の前には行列ができており、参拝前に整理券を貰い帰りに立ち寄っても未だ2時間程持て余した。近くに洒落た茶店(?)を見つけそこで時間を潰した。初めて白焼というものを食べたがこれは中々美味かった。
沖縄にはまーちゃんが先に向かった。横浜に住む妹のNちゃんが予定を合わせて合流してくれることになっていた。俺は片付けなければならない用事が幾つか有り、遅れて合流する事になった。沖縄ではまーちゃんの御両親の家に泊めて貰った。もっとも今は誰も住んでおらず、まーちゃんとNちゃんは片付けに追われていた。お義母さんのお墓に行き、養老院に居るお義父さんに会いに行った。ガラス越しに車椅子に乗せられたお父さんがやって来た。意識は有るのだが表情が無い。ところが、まーちゃんが「エツヤを連れてきたよ」と言い、紙に書いてガラス越しに見せると、「おお!」と叫び、こちらを向いてニコリと微笑まれた。これにはまーちゃんも妹も驚いた様子だった。例のカレンダーの鯨の写真を見せると何故か「ホエール(Whale)」と英語。ムース(ヘラジカ)の写真を見せると頭の上に両手を挙げてヘラジカの角のようにしてみせた。先日は突然「アメリカの中間選挙はどうだった?」と尋ねたらしい。と、次の習慣には下を向いてモジモジと指を動かす仕草を見せ、興味はどこか遠くに行ってしまったかの様だったりもする。お義父さんは何を考えているのだろう?途切れ途切れの思考の中で、それでも思考が繋がる瞬間には昔の事を色々思い出されるのかなぁ?
夜の首里城跡を散歩した。首里城は火事に会い再建中。その近くにあった古民家を利用したお洒落で人気の料亭はコロナの煽りを受けて潰れてしまった。建物は焼け落ちても、城の外壁や石畳の通りは以前のまま。守礼の門も満月に照らされ綺麗だった。
お義母さんの弟、Yおじさんの家にご挨拶に行った。この方はNHKのプロジェクトX「8ミリの悪魔」で何度もTV放映されているウリミバエ撲滅チームのリーダー。いつ伺っても奥様共々歓待してくださる。この日もお寿司を腹一杯ご馳走になりながら色々なお話を伺った。
沖縄での最終日、まーちゃん、Nちゃんと三人でショッピングを楽しみ、夜は温野菜でまた腹一杯。沖縄からの帰りはまーちゃんとは別便。まーちゃんとNちゃんが羽田へ飛ぶのに俺だけ成田。成田に着いてパスモをチャージしようとすると現金しか受け付けないのには驚いた。更に万札は受け付けないときた。阿呆か!今時キャッシュを持ち歩けってか?何のためのパスモやねん!
沖縄から戻った翌日は上野のアメリカ村でショッピング。まーちゃんは、今や世界的に有名になった岡山のジーンズを購入。更にその翌日は夫婦でSちゃんのお店へ。懐かしい人達と再会し楽しいひと時を過ごしたので有りました。思えば40代の後半あたりからよくお世話になったね。




カリフォルニア時代からの友達A夫妻が箱根一泊旅行を企画してくれていた。最寄駅まで行くと車でピックアップしてくれ超楽チン。箱根湯本や乙女峠で休憩して写真を撮り、宮の下にある会員制の高級ホテルにチェックインした。山肌を利用して建てられたホテルの部屋は2人には広過ぎ、正面に箱根連山、眼下には早川を見下ろす絶景。何とも贅沢な話だ。向かいに立つ富士屋ホテルに泊まったのは20年前。ジョン・レノン夫妻が長逗留したことで有名なホテルも当時はかなり老朽化していた印象だったが、その後改装されたらしく今回は見違えた。中の喫茶店でお茶してホテルへ戻り、風呂と食事。翌日はまだ暗いうちから露天風呂を浴び、部屋に戻ると丁度夜が明けてきた。カメラを取り出し湯煙に霞む箱根渓谷をパチリ。昼はこれまたお洒落な蕎麦屋で食事、夜はA夫妻宅へお邪魔し、その後息子さんがバイトをしている近所の炉端で食事。美味い酒があった。またいっぱい喋って、いっぱい食べた。




今回の〆は大相撲冬場所観戦。ダメもとでアメリカからWEBで予約したら枡席が取れちゃった。Sちゃんも途中参加で観戦。観終わって、浅草で食事、馬刺しとラーメンでまたもや満腹になった腹を空かすべく浅草寺を散歩。雨あがりの浅草寺は人混みも無く、ライトアップされてとても綺麗だった。
ユタに戻ったのは17日。前日実家に顔を出し、荷物の一部をそこから空港へ発送した。羽田初の飛行機の出発が7時間も早まったお陰でロサンゼルスでのレイオーバーが10時間!まるまる24時間掛けてRVパークに辿り着き、モーターホームが無事立っているのを見た時はホッとした。実は日本滞在中にRVパークに電話をかけ雪の状態を尋ねた際、大量の降雪があったと聞き、人を雇って雪掻きをして貰ったのだが、これをやっていて良かった。さもなくば、帰国の翌日ディーゼルを補給にRVパークから出ることもままならなかっただろう。帰りの荷物が多過ぎてどこかで引っ掛かると思っていたがそれも無かった。ともあれ、事故も無く全て上手く行った。次回長期で帰省する時は雪を心配しなくて良い時期にしたい。それまで親父もお袋も元気でいて欲しい。


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